“一生モノの鍋”を待つ誰かのために打ち込む槌音!
日本でも珍しい手打ち鍋職人が考える
ものづくりの将来
築70年ほどの町工場に響き渡る、澄んだ金属音。アルミのかたまりが鍋に姿を変えていく音です。
単に鍋といっても、ここ「姫野作.」において作られる鍋は一般的なプレス品とはひと味もふた味も異なります。その特徴は、なんといっても手打ちによる表面加工。リズミカルに音をつむいでいくことで、70年近くは使えるという耐久性、熱伝導性、保温性を持たせているのです。手打ち製法を身につけた職人は、いまや国内でも数えるほど。
その1人である姫野作.の3代目、姫野寿一さんに「鍋屋」としての来歴と将来像を聞きました。
家業を継ぐつもりすらなかった青年が職人になるまで
手にすれば、はっきりと分かる重量感。
それもそのはず、「姫野作.」の行平鍋は通常のおよそ2倍、3ミリの厚さのアルミからできています。耐久性に長じるのは言わずもがな、なかには70年近く愛用するユーザーもいるほどです。さらに丹念な手打ちによる槌目が加わることで表面積が増し、優れた熱伝導性を発揮。セレクトショップや百貨店のバイヤーにより見出され、決して安くはないにもかかわらず、いまや順番待ちが生じるほどの人気商品として地位を確立しています。
そんな姫野作.が産声を上げたのは、大正13年(1924)のこと。押しも押されもせぬ百年企業は当初、大阪の台所「黒門市場」のそばに店を構え、鍋にとどまらず業務用の厨房用品全般の製造を手がけていました。
現在、工場を構える八尾に移ったのは、およそ60年前のいざなぎ景気のころ。経済が急速に成長するなか、道具屋筋や給食センターに製品を卸していました。
姫野さん「移転してきたときは、僕がちょうど小学校に上がる前くらいやったかな。まだこのあたりには防空壕が残っていて、秘密基地にして遊んでいました。家は工場のすぐ裏にあって、うるさいし、父も職人もしんどそうなのを見てきてね。だから、家業を継ごうなんて思ってもなかったんです」
いわばこの時期の姫野作.は、BtoBのビジネスが主体だったといえます。カレー、ラーメン、スープなどを大量調理するような寸胴鍋を主力製品とし、給食センターの設備修繕なども依頼される忙しさでした。
とはいえ、そんな右肩上がりの時代も長くは続きません。人口増加に頭打ちの兆しが見えると同時に職人も高齢化し、次々に引退。姫野作.は苦境を迎えます。
家業が陰りを見せる一方で、社会人になった姫野さんは自動車ディーラー、不動産業と、さまざまな職を転々。最終的に化粧品問屋の営業に落ち着き、百貨店などを顧客に充実した毎日を送っていましたが、次第に「自分で商売がしたい」との思いを抱くようになります。
姫野さん 「27〜28歳くらいのときにサラリーマンを辞めて実家に戻ると、職人が減った状況で父が忙しそうにしていて。アルバイト感覚で配達を手伝っていたら、洗浄、梱包と次々に仕事を任されるようになって、気づいたら自分も金槌を握るようになっていました」
ちょうどそのころ、バブル経済が崩壊。主力だった大鍋は廉価なプレス品に取って代わられていましたが、愚直な職人気質だった父はあくまで旧来のやり方にこだわったといいます。
「せっかくええものを作っているのに……」。若き日の姫野さんは、ビジネスモデルをBtoCに転換すべき事実を肌で感じ取っていました。
“打ち込める仕事”をともにできる、そんな仲間を求めて
図らずも家業に入ることになった姫野さん。まずは経理やパンフレットの制作などに力を割き、会社としての体をなそうと尽力しました。サラリーマン時代のつてをたどって、百貨店に飛び込み営業をかけたことも。しかし、反応はけんもほろろだったといいます。自慢の行平鍋を持って出かけて行っても、担当者からは「そこに置いておいて」という声ばかり。
そんな日々が5年あまり続きましたが、大手カタログ通販に取り上げられたことで状況は一変します。
姫野さん 「ある展示会に呼ばれてもいないのに鍋を持って行ったら、白髪の男性が興味を示してくれたんです。耐久性や保温性のよさを説明したら、カタログ通販の仕事をしていると明かしてくれて。最初は何の冗談かと思いましたが、後日ちゃんと連絡が来てカタログに掲載されたんです。それが突破口になって、個人販売がぐっと伸びました」
その後、姫野さんは業務用品の製造を徐々に縮小。東京・合羽橋でも地道な営業活動を展開した結果、セレクトショップからもオファーがかかるようになりました。なかでも「良」理道具を謳う調理器具の専門店「釜浅商店」とは浅からぬ関係に。いまや海外進出を果たした同店のパリ店にも、姫野作.の行平鍋は並んでいます。
もうひとつ象徴的な出来事は2009年、近鉄東花園駅の壁面に設置するラグビーボールのレリーフの製作を依頼されたことです。折しもリーマンショックが猛威を振るっていた時期に、幅4メートルもの巨大な造形物を任されたことは、姫野作.のブランドを高めるうえで大きくプラスに働きました。
姫野さん 「サンダーバード2号みたいなレリーフをみんなでカンカン叩いてね。大きな仕事だっただけに、職場の士気も高まりました。あそこからまた潮目が変わって、工場にも若い子が出入りするようになったね」
そう語るように、現在の姫野作.の工場には他に本業を持つ人やアーティスト志望の美大生といったアルバイトが自由に出入りし、トレーやプレートといった製品づくりに携わっています。
姫野さん自身、一朝一夕に鍋を打てるようになってほしいとは考えておらず、前時代的な徒弟制度を敷くつもりもありません。
姫野さん 「鍋職人としてひとり立ちするには、4〜5年はかかるんちゃうかな。仮に正社員として働くにしても、週5日、7時間勤務でいいと思っています。時間をかけて、鍋を打つのに必要な脱力の仕方、『骨』の立たない均等な打ち方を覚えていってもらえたら」
1つの鍋を仕上げるには、およそ600もの槌目をつける必要があるそう。姫野さんの場合、1日に換算すれば2〜3万回はアルミを叩いている計算になります。そんな生活を40年近く続けているにもかかわらず、その手にはタコひとつ見当たりません。これこそが鍋を打つのに最適な脱力の仕方を会得し、文字通り手に職がついている証拠。
「打ち込める仕事」に熱中できる人、新しい感性を吹き込んでくれる人との出会いを、姫野さんは心待ちにしています。
#後世へ残したい企業
有限会社 姫野作
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