知る人ぞ知る神戸名物「野球カステラ」
手焼きにこだわるせんべい店夫妻が
未来に残したい優しい味
バットにグローブ、ボール、さらには球審が手にするインジケーターまで――
さまざまな野球用具をモチーフにした「野球カステラ」は、愛好会まで存在する神戸の懐かしの味です。野球人気を受け、昭和期には市内のせんべい店がこぞって手がけた銘菓ですが、令和の現代もなお製造を続ける店は片手で足るほど。長田神社近くに店を構える「八木新月堂」は、そんな生き残りのひとつです。
手焼きと素材にこだわり、地元のファンに応え続ける八木和男さん、勝美さん夫妻に店のこれまでと事業承継への思いを聞きました。
二人三脚ゆえに実現できた手焼きならではの味わい
長田神社の参道を行くと、ふわりと鼻をくすぐる甘い香り。「八木新月堂」は戦後ほどないころから70年以上の歴史を重ねるせんべい店です。名物の「野球カステラ」に「瓦せんべい」「瓦まんじゅう」「ビンズせんべい」など、10種類あまりの商品はすべて和男さんによる手焼き。小麦粉、卵、砂糖、はちみつなど材料はシンプルそのもので、ごまかしは一切利きません。
兵庫県の山あい、現在の宍粟市から出てきた和男さんの父・新吉さんが興した八木新月堂。若き職人が商いの地を求めたのは、厄除けで名高い長田神社の門前でした。
2代目として今も店を守る和男さんは創業とほぼ同時期に生を受け、高校卒業後すぐに市内の別のせんべい店で修行を開始、4年半ほどの歳月を経て家業に入りました。
和男さん「僕らの年代だと家業を継ぐのは当たり前やったね。でも、親子が突然一緒に仕事をするとなると、けんかをするやろうということでよそに出た。実は父からこれといった教えを受けたことはないんです」
修業先では焼き方にとどまらず、素材の重要性も学んだという和男さん。「先輩職人」の新吉さんに物怖じすることなく、製法や材料の改良に取り組んだといいます。
父の時代にはコークスが主流だった火種も、和男さんがお店に立つころには現在と同じガスに置き換わっていました。火を起こすまでに1時間かかっていた状況は一変し、職人の仕事にも変化が求められていたのです。
父が培った味を守り、高めていくために和男さんが重視したのは、質のよい卵を惜しみなく使うこと。さらに季節に合わせて水分量を細かく調整しています。
そうして焼き上げられる野球カステラの断面は美しい黄色を呈しており、できたてのふわふわ感は出色。心地よい食感を追いかけるように、上品で優しい甘みが感じられます。
もっとも、こうしたものづくりができるのも妻の勝美さんとの二人三脚があってこそ。 製造は和男さん、包装や接客は勝美さんという具合に明確な分業が確立されて初めて、実直なものづくりが可能になっているのです。
勝美さん 「ずっとけんかばかりの毎日で(笑)。でも、主人の作るカステラやせんべいは本当においしいんですよ」
勝美さんの言葉は、八木新月堂の持つ商品力の高さを何より物語っています。
根強いファンの期待に応え続けるのが最大の願い
70年以上にわたって商売を続けるなかでは、苦境に立たされる場面もありました。
1995年の阪神・淡路大震災では、店は倒壊こそ免れたものの傾いてしまい、ガスや水道が使えない事態に。復旧には多額のお金が必要になりました。
しかし、当時の八木さん夫妻は50代半ばの働き盛り。未曾有の災禍も耐え忍び、15年ほど前に長田神社の門前にあった店を高速長田駅に近い現在地に移転させました。
和男さん 「移転には紆余曲折があったけど、この人(勝美さん)が背中を押してくれたんよ。角地で駅から近いこともあって、それまで以上にお客さんが来てくれるようになった。ただ、仕事場のレイアウトは前の店から引き継いだんです」
畳にしてわずか2畳ほどの「グラウンド」は、バーナーのすぐ脇に生地を入れる大鍋が下がり、足元は長時間作業しても疲れない掘りごたつ式。店内と直結しているため、焼き上がった商品はすぐさま勝美さんの手に渡り、手際よく包装されていきます。手焼きというアイデンティティを最大限に発揮できる、効率性を凝縮した空間がそこにあるのです。
勝美さん 「主人は一度仕事場に入るとトイレに立つこともないんです。夏場は当然暑くなるけれど、それでも大鍋に入った生地がなくなるまで焼き続ける。つきっきりで世話をするから、焼きムラのない見た目にも美しい商品ができるんです」
機械生産との最大の違いは、焼き型をリズミカルに動かすことで丹念に温度調整ができること。生産ロスの懸念から大手が敬遠しがちな日持ちのしない商品を製造するうえでも、八木新月堂の規模感はプラスに働きます。多くの業者が手を引いた野球カステラを焼き続けられる理由も、当然そこにあります。
勝美さん 「決して大きく儲かるような商売じゃない。娘もいるけど継ぐ気はないみたいで、自分たちの代で商売を畳もうと考えていました。でも『八木さんとこのが一番おいしい』って声はやっぱりうれしいねん。だからこそ、若い人に技術を手渡したいんです。仕事の性質上、夫婦で継いでもらうのが一番やね」
地元有志による「野球カステラ愛好会」から絶賛されるほどに神戸っ子の心をつかんできた、八木新月堂の味。普段づかいや進物用はもちろん、少年野球の卒団式、野球観戦、さらにはお寺の法事といった場面にも根強いニーズがあります。
現在の店舗は八木さん夫妻が所有。居抜きのような形で、次の世代にバトンをパスできればと考えているそうです。合理的に構築された仕事場も、きちんと手入れの行き届いた焼き型も、そっくりそのまま受け継ぐことができます。
そして肝心の手焼きの妙技については「見て覚えろ」ではなく、手取り足取りていねいに教えてくれるそう。人懐っこくて話好きの夫妻とのやりとりからは、職人気質一辺倒ではない伝統継承のありようが容易に想像できました。お客さんの顔が見える距離感で堅実なものづくりに励みたい人にとっては、またとない仕事場かもしれません。
#後世へ残したい企業
八木新月堂
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