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幻のソース“ワンダフルソース”を次代へ!
大量生産では実現できない
ものづくりの醍醐味が尼崎の郊外にあった

尼崎市の北郊にある、かつては農学校の校舎だったという年季を感じさせる建物。
1964年創業の「ハリマ食品」は、60年にわたりこの場所でソース作りを手がけてきました。往時の阪神甲子園球場では焼きそばの味の決め手に、尼崎市内の小中学校では給食にと、界隈の食を黒子として支えてきたのは、2代目の鎮西裕幸さん、マサ子さん夫妻です。
いまでは珍しくなった木樽仕込みのソースは、スパイシーさを感じさせつつも角の取れた奥深い味わいが特徴。
縁あって異業種からソース製造の世界へ飛び込んだ2人の歩みを聞きました。

商品のオリジナル度
作りたいものを作れる度

“お手伝い”から始まったソース作りアトツギへの道

高い天井の下、人の背丈をゆうに超える木樽が並ぶ工場内。足を踏み入れただけで、何種類ものスパイスの豊かな香りが鼻腔をくすぐるのが分かります。
ここ「ハリマ食品」は、知る人ぞ知る「ワンダフルソース」の製造元。どこか憎めない印象の男の子のイラストに、ローマ字表記の「WANDAFURU」が目を引くラベルは、地ソースマニアならきっと見かけたことがあるでしょう。

とはいえ、たった2人で製造から配達までを一貫して行う体制のため、私たち一般消費者の手に届く数はごく限られています。そんな「幻のソース」を生み出すのは鎮西裕幸さん、マサ子さん夫妻。現在は給食会社、近隣のお好み焼き店やたこ焼き店に向けた業務用品の製造に軸足を置いています。

ハリマ食品画像
ハリマ食品画像外観

もともと裕幸さんは学校を卒業後、鉄工所に10年ほど勤務した経歴の持ち主。「自分で商売がしたい」との思いが高じて、マサ子さんとの結婚を機に職場を退職し、いとこの経営する酒屋で酒販免許の取得に向けて配送を中心にこなしつつ、経営のイロハを学んでいました。

裕幸さん「当時は酒販免許取得に必要な実務経験がいまよりも長かったんです。どうにかその条件をクリアして、伊丹に土地を探していたんだけれど、これが難航してね。そんなとき、配達に出かけた得意先から『困っている人がいるから、手伝ってみないか』と声がかかった。1980年くらいのことです」

その声の主こそ、すでに高齢の域に入りつつあったハリマ食品の創業者でした。自らの酒屋を開ける見込みが立たずにいた裕幸さんは、初代の求めに応じて配送などを手伝うように。最初はアルバイト感覚だったといいますが、自分で作ったものを自分で売るという営みの一端に関わるなかで、鉄工所時代にはなかった経営感覚のようなものが芽生えていったといいます。

ハリマ食品社長近影
ハリマ食品ソース瓶

そんな暮らしが20年ほど続いたころ、初代から鎮西さん夫妻に「継いでみないか」とオファーが。家族経営の流れでお鉢が回ってきたのではなく、まさに2人は現代でいう「アトツギ」だったのです。引き継ぎに要した期間は、おおよそ1年ほど。配送が主な業務だったとはいえ、ソース作りの現場をいつもそばで見ていた裕幸さんは、材料の特性、整理整頓といった仕事の勘どころを次々に吸収していきました。レシピは手書きのものを復唱して覚えたというほど。そんな夫と同じ道を歩む決断をしたマサ子さんは、次のように語ります。

マサ子さん「それまで私は会社勤めをしていて、よっぽど楽でした(笑)。でも『夫婦2人でやった方がいいよ』って声はありがたくて。体力的にはたいへんですけど、工場を訪ねて『おいしかった』と伝えてくれるお客さんの存在が、ここまでやってくる原動力になりました」

2001年にハリマ食品の看板を背負うようになり、早いもので四半世紀。2人の間にはおのずと役割分担ができ、あうんの呼吸でソース作りを続けています。

木樽ゆえに可能になるオリジナリティあふれるものづくりを

近年のソース製造の現場は、ステンレスやホーローのタンクを用いる場合がほとんど。加えて瓶詰めやラベル貼りといった工程までオートメーション化せず、一貫した手作業にこだわるメーカーは探してくる方が難しい状況となっています。70代も半ばを迎えた裕幸さんは、いまも木樽に入ったソースを櫂でまんべんなくかき混ぜる力仕事に精を出します。

ハリマ食品仕事場
ハリマ食品ソース樽

裕幸さん「ステンレスやホーローと違って、木は生きている。だから寒暖の差によって伸縮し、自然と中身が混ぜ合わされるんです。そのおかげで素材それぞれがお互いに主張するのではなく、うまくひとつになる。大量生産との大きな違いはそこでしょうね、自分でも納得のいくソースができるから」

そもそもが木樽を製造する業者が減少している昨今、漏れが生じたときのメンテナンスも自前で行わなければなりません。木が「生きている」ぶん、季節に合わせて材料の配分を細かく調整し、粘度や濃度を安定させる必要にも駆られます。しかし、それでも昔ながらの製法にこだわるのには、相応の理由があるというわけです。
一方のマサ子さんは配達と営業も兼ねる裕幸さんのぶんまで、工場のことを知り尽くす存在です。

マサ子さん「飲食店に卸しているぶんは、それぞれ違った味わいが要求されるんです。だからこそ、お客さんの声にはしっかり耳を傾けて。ソースって、上澄みと沈殿物とでは味わいや性質がまったく違うから、それらをどうブレンドするかが大切なんです。いわばオーダーメイド品を作っている感覚かもしれませんね」

ハリマ食品ソースの配合
ハリマ食品ラベル貼り2

飲食店でも店を畳むところが増え、ハリマ食品を取り巻く状況も大きく変化しました。味の嗜好も従来のスパイシーなものより、甘みの感じられるマイルドなものが好まれるようになりました。製法それ自体はきちんと受け継ぎつつも、時代の変遷には柔軟に対応する――ハリマ食品がいまなお信頼を置かれる理由は、ここに見出せるのかもしれません。

このように他ではなかなかまねのできないソース作りに取り組む2人。後を継いでくれる人に求めるのも、ものづくりへの関心と柔軟性だと語ります。

裕幸さん「大量生産の規格品ではなく、オンリーワンの商品に持てる力を傾けるのが僕たちのやり方です。体力的にはたいへんだけどね(笑)。後継となる人も、型にはめるつもりはさらさらありませんよ」

ハリマ食品には、初代が書き記したレシピがいまも残されています。そこにあるエッセンスさえ押さえれば、あとは新たな作り手なりの「スパイス」を加えてもいいというのが、鎮西夫妻に共通する思い。手間のかかる木樽だからこそ可能になる自由なものづくりは、これからどのような味わいを届けてくれるのでしょうか。

#後世へ残したい企業

兵庫県-Hyogo

ハリマ食品

会社名

ハリマ食品

業界

食料品製造業

設立年月

1964年

代表者名

代表取締役 鎮西 裕幸

事業内容

ソース・醤油・清酢・ポン酢の製造販売

本社所在地

兵庫県尼崎市

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