夫婦二人三脚で築き上げた
愛されメシ“尼チャン”!
流浪の中華職人が行き着いた
尼崎に根差す味わいに迫る
これまでいったい、どれくらいの人々の胃袋をつかんできたのでしょうか。ここは「尼崎チャンポン」、略して「尼チャン」が名物の店「天遊」。
注文から待たせることなく供される尼チャンは、粘度の高い鶏ガラベースのあんが細麺を包み込む、シズル感にあふれたビジュアルが目を引きます。ひと口すすれば、まろやかで奥深い味わいが瞬く間に広がり、思わず笑みが。
創業から四半世紀あまり、下町に暮らし、働く人に活力を与え続けてきた濱田共範さん、美佐子さんと尼チャンがつむいできたストーリーを聞いてきました。
勉強嫌いを変えてくれた中華との出会い、そして流浪の日々
店ののれんをくぐれば、壁面はおろか天井まで張り巡らされた著名人のサイン色紙。
大阪と神戸をつなぐ大動脈、国道2号に面した中華料理店「天遊」はいままで何度もメディアに取り上げられてきました。とはいえ、話題性先行と見るのは早合点。この道40年あまりのマスター・濱田共範さんが一代で築いた店は、確かな技術とアイデア力の裏打ちがあってこそ、この場所で商いを続けるに至っています。
そうしたバックボーンから生まれたのが、看板メニューの「尼崎チャンポン」。「尼チャン」の愛称で親しまれる名物が生まれるまでには、長い武者修行の日々がありました。
高校を卒業後、1年あまりのフリーター生活を経験した共範さん。「このままではいけない」という焦りに実家を出たいという感情も加わり、飛び込んだのが寮付きの中華料理店でした。右も左も分からない職人の世界でしたが、努力すれば必ず腕が上がることを身をもって実感、自らの指針が定まったそうです。
共範さん「それまでは勉強嫌いだったのが、日本と中国で漢字の表記が異なることさえおもしろく思えたんです。技術面にしても同じで、先輩がいとも簡単にこなす下処理さえ自分にはできない。それを居残りで克服する感覚が肌に合って、きゅうりの飾り切り、たけのこの千切りといったテクニックを少しずつものにしていきました」
時代は1980年代後半。テレビのグルメ番組を発端に、中華ブームに火が点こうかというころでした。それまで眠っていた知識欲をくすぐられた青年は、並居る先輩たちに肩を並べて技を盗み、見たこともない料理を食べては、自身の体に中華の流儀を叩き込みました。
2年ほどの修行期間を経た共範さんは、慕っていた先輩らとともに西脇、鈴蘭台など、関西圏の中華料理店に援軍の形で加わる日々を送ります。行く先々で客の舌を楽しませる、いわば「中華旅一座」。その一員として、のちの独立へつながる感性を研ぎ澄ませていきました。
「流浪の料理人」を5年ほど続けた共範さんは、一座と別れてミナミの中華料理店へ。30歳を目前にしても、新しい職場では下っ端と扱われる現実を思い知ります。もちろん努力を惜しむことはせず、チーフを任されるまでになりましたが、組織のなかにいては先が見えていると、置かれた状況を冷静に分析していました。危機感の背景にあったのは、ひと周り歳下の美佐子さんとの出会いです。
美佐子さん 「19歳の目に30歳はとても大人に見えて。でも、マスターは組織でうまく振る舞えない自分を理解していたみたいです。それでがんばって貯金をして独立しようという話になりました」
30代に入った共範さんが最初の店「豚々」を開いたのは、大阪・堺。美佐子さんが20歳を迎えると晴れて結婚も果たし、出前を中心に繁盛店に成長させました。
しかし、意を決して開いた店も、対面ではないため客の反応が見えづらい状況には満足できなかったよう。1996年には後輩に店を託し、翌年に尼崎の地に天遊を開店させます。 料理人としてだけでなく、経営者としても円熟しつつあった共範さんには、確かな自信が芽生えつつありました。
土地にしみついた“天遊の味”を次代にも残していきたい
尼崎の幹線道路沿いで心機一転を図った店は、豚々と同じく典型的な町中華。店名は共範さんが高校時代にアルバイトをしていたレジャービルから拝借しました。町中華だけあって、あんかけチャンポンは開店当初からラインナップ。一方では長崎チャンポンも扱っていました。
共範さん「オーダーを通すときに、長崎チャンポンは『長チャン』と略していたんです。そこに2000年、テレビの取材が来てあんかけの方を取り上げてくれた。長チャンと対になるということで、尼チャンを名乗るようになったのはこの時期からです。最初は恥ずかしかったけど、お客さんからの反応も上々でした」
美佐子さんをして「一緒に店に立つようになって半年はほぼ毎日食べていた」という尼チャンは、その言葉に違わず食べ飽きのしないあっさり風味。野菜たっぷりでヘルシーなのも特徴です。一見シンプルなように思えますが、圧力鍋で煮込んだ鶏ガラを砕き、寝かせることで雑味を取り除く手間ひまのかかった味は、「チャンポン=長崎チャンポン」との認識を変える逸品として巷に知られることになりました。
尼チャンの名が定着し、店には著名人も多く訪ねるようになったものの、ここで終わらないのがアイデアマン・共範さんの真骨頂。
尼チャンを玉子とじにして、にんにくとラー油で刺激を加えた新メニュー「泥チャン」を投入し、辛党から絶大な支持を得ることになります。
それだけではありません。肉汁を閉じ込めるために独自の丸い形で出される餃子、韓国の調味料を隠し味に使った麻婆豆腐、酢豚をチャーミングに見せるハート型に切られた人参――見知った料理にひとひねりを加えるのが「天遊流」。泥チャンの登場も必然だったといえるでしょう。
共範さん「よその店は気にしない。あくまで天遊の味に全神経を集中させ、走り続けてきました。ただ、連れ添うようになって30年あまり、この人には迷惑をかけてきた。物価高のなか、少しでも安い食材を揃えて提供量を保とうと商店街を駆け回ってくれたりね。もうそろそろ恩返しもせなあかんから」
個人経営の町中華の多くが消えつつあるなか、天遊ならではの味は土地にしっかりとしみつき、固定客もついています。共範さんいわく「中華で5〜6年の経験があれば、あとはこの箱に慣れるだけ」とのこと。 長いキャリアを積んできた職人の言葉は、説得力が違います。
2人が望むのは尼崎で愛されてきた味を残し、よりよい方向へとアップデートしてくれる人との出会い。気骨のある料理人にとっては、引き出しが増えること請け合いのまたとない職場といえるでしょう。
#後世へ残したい企業
天遊
会社名
業界
設立年月
代表者名
本社所在地
気になる企業があれば気軽にお問い合わせください
この企業について問い合わせる