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最小単位1000分の1ミリの彫刻まで!
隻手の職人が苦心の末に生んだ
金属加工に新たな付加価値を

「赤坂式半月彫刻法」――まるで剣術の流派を思わせるかのような独自の技法で、最小単位1000分の1ミリ幅の彫刻を施す金型製作業者が、ものづくりの街・八尾にあります。
その名は「赤坂金型彫刻所」。職人が自身の手で研ぐ「半月一枚刃」と呼ばれる刃物を、マシニングセンタに代表される現代の工作機械に組み込むことで一段と繊細で精緻な金属加工を実現し、生活雑貨、自動車部品、医療器具に至るまで多種多様な工業製品の金型を生み出しています。
祖父が編み出した技法に革新を掛け合わせて前進する三代目赤坂兵之助さんに、心のうちを尋ねました。

技術のユニーク度
コラボレーションへの期待度

ハンディキャップを抱えた祖父が築いた繊細で精緻な彫刻技法

寸分の誤差も許されない医療器具に、ブランド価値を物語る化粧品のパッケージ。
こうした精緻な加工が求められる領域に正確無比な金型を供給し、確かな存在感を放つのが「赤坂金型彫刻所」です。
創業は太平洋戦争の足音が迫りつつあった昭和15年(1940)。職人として身を立てようと、親戚筋をたどり和歌山から大阪に出てきた初代赤坂兵之助さんは当初、仏像や仏具、欄間といった木彫の分野からキャリアをスタート、仏師を目標に現在の東大阪市に自らの居場所を定めました。

従軍を経て復員した初代は、アメリカからもたらされた射出成形による樹脂製品の大量生産技術を目の当たりに。おそらくは「こんなことができる国に勝てるはずがない」という実感もあったのでしょう。敗戦という大きな痛手から日本が復興を果たすにはこの道しかないと、実験的にタガネによる金型の製作を始めるようになりました。

赤坂金型彫刻所
赤坂金型彫刻所

赤坂さん「祖父は宝船や般若心経を描いたプレート、人形などに用いられるプレス金型などを彫刻するところから手をつけたようです。縁起物が目立つのは、思えば戦後復興への願いを込めていたのかもしれません」

初代が突き詰めたのは「いかに少ない負荷で金属に彫刻を施せるか」というテーマ。片手を失ったがゆえ、義手による製作ゆえの宿命ともいえるものでした。般若心経の文字がミリ単位で彫り込まれたプレートを手に取れば、職人の揺るぎない意思が否が応にも伝わってきます。
この技術を日本刀の鍔(つば)、記念コイン、ボタンなどにも応用することで、徐々に形になっていったのが「赤坂式半月彫刻法」です。

従来のタガネを初代自身が改良した「半月一枚刃」は、文字通り断面が半月状を呈する刃物。切削抵抗が低いことから、細やかな彫刻を実現するにはうってつけの道具でした。何度も何度も研磨を繰り返し、いまもなお使われ続ける半月一枚刃の先端は、顕微鏡で拡大して見なければ刃こぼれが分からないほどです。

赤坂金型彫刻所
赤坂金型彫刻所

赤坂さん「切っ先を鋭く保つ、いわば『追い込む』ことは、余計な力をかけずに美しい彫刻を施すうえで不可欠な条件です。祖父はこうした技術開発と並行し、射出成形機を導入して金型から完成品までを一貫して製造する体制を整えていきました」

ところが後工程にまで乗り出したことが、不慮の事故を招きます。射出成形の作業中だった初代が機械に左手を挟まれ、そのまま職人の命の一方を失ってしまったのです。
本来であれば、ここであきらめがつきそうなもの。しかし、初代は退院したその日に自ら義手を製作し、仕事に復帰。さらに教職に就いていた二代目も現場に加わり、工作機械の導入を通して工程の自動化を推し進めていきました。時にして1970年代半ばのことでした。

伝統を継承したいからこそ、新たな感性を取り入れたい

こうした紆余曲折を、幼いころからすぐそばで目にしてきた赤坂さん。家業を継ぐのは当たり前という意識があったそうで、小学生時代には現場の手伝いに入っていたといいます。

赤坂さん「祖父が隻手なのは当然という感覚でした。高校の昼休みには校内放送で『赤坂くん、現場でお父さんがお困りだからすぐ帰りなさい』とアナウンスされたこともありましたね(笑)。気恥ずかしさはありましたが、工場に帰ってまた機械が触れることに内心ワクワクしていたのを覚えています」

思い出の写真

機械化が進んだ赤坂金型彫刻所は、金型製作という原点に回帰。自動車、弱電機器、生活雑貨といった分野に優れた製品を送り出すようになりました。赤坂さん自身が三代目兵之助を名乗るようになったのは、2016年のこと。祖父が築き上げた繊細な加工技術、父が押し進めた生産の効率化を受けて、さらなる付加価値の創造を目指して今日に至ります。

三代目を襲名して以降の顕著な功績は、ブランド力の高さを物語るものばかり。高級酒として名高い「獺祭」のボトルキャップ、「大関」の「ちろり」の3D打刻印、オッペン化粧品のクリーム容器を彩るバラのデザイン彫刻などが挙げられます。特にオッペン化粧品の例は学生がデザインしたバラの紋様を形にする産学連携の取り組みで、大阪工業大学で非常勤講師を務める赤坂さんにとっても印象深い仕事になりました。

赤坂金型彫刻所
赤坂金型彫刻所
赤坂金型彫刻所

赤坂さん「僕の究極の夢は、ものづくりの学校をつくることなんです。付加価値のあるものづくりこそがこの国を牽引する力になる。手を動かすことの楽しさを次の世代にも伝えていくことが、自分に課せられた使命だと考えています。生徒は老若男女を問わず、世界中から受け入れたいとも思います。彼ら、彼女らが学びをともにすることで絆が深まれば、その関係性が再び世界中に還元される。そうすれば、戦争がなくなるとさえ信じています」

主力である金型製作に加え、赤坂式半月彫刻法を応用したアクセサリーブランド「コクール」を開発した背景にも、そんな考えがあるはずです。地元・八尾のクリエイティブ拠点「みせるばやお」を中心に開催されるオープンファクトリープログラム「FactorISM」に積極的に参加するのも、同様の理由からでしょう。
赤坂さんの胸には「時代に合わせたものづくりを」との思いがあります。

赤坂金型彫刻所
赤坂金型彫刻所

赤坂さん「伝統を守るためには、伝統にばかり固執していてはならないと思います。思えば私の父が、私が機械やコンピュータが好きだという個性を伸ばしてやろうとして近代化を進めてくれたことで、いまの赤坂金型彫刻所があるんです。若い感性を取り入れて互いに助け合い、補い合い、尊重し合える関係を築きたいですね。それこそ日本人に限った話じゃなくてもいいと考えています。新しい技術も柔軟に取り入れながら、次の赤坂を形づくっていけたら」

現在は下請を中心にビジネス展開する赤坂金型彫刻所ですが、今後は自社ブランド強化という方向にも力を入れたいとのこと。
赤坂さんは「腕はいいけど経営が下手という評判で」と頭をかきつつ、経営ブレーン、ブランディングのパートナー、さらにはまだ見ぬアイデアを注入してくれる存在との出会いに期待しています。

たった1000分の1ミリから始まるストーリー。そこにはきっと、無限大の広がりがあるはずです。

#後世へ残したい企業

大阪府-Osaka

赤坂金型彫刻所

会社名

赤坂金型彫刻所

設立年月

1940年(昭和15年)

代表者名

代表 三代目 赤坂兵之助

本社所在地

大阪府八尾市

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